医師になった理由を聞かれると、いつも少し気恥ずかしくなる。立派な志があったわけでも、幼い頃からの夢だったわけでもないからだ。むしろ、人に話すのがためらわれるくらい、情けない始まりだった。
高校3年の秋。大学に行くつもりはあったけれど、進学校に通っていたわけでもなく、成績は偏差値50くらい。お世辞にも優秀とは言えなかった。将来こうなりたいという具体的なビジョンも何もない。なんとなく塾に通い、好きな教科だけをつまむように勉強して、ただ毎日を流すように過ごしていた。受験が迫っているという実感さえ、どこか他人事だった。
そんなある日、友達にこう言われた。「一浪して、いい大学に行かないか? 例えば医学部とか」
その言葉に、妙に刺激されてしまった。あと1年勉強すれば、今の自分には手の届かないような有名大学に行けるかもしれない。たった1年、時間を引き延ばすだけで、凡人だった自分が大きく変われるんじゃないか。そんな都合のいい期待が、胸の中でふくらんでいった。そして何より、目の前に迫った受験から、いったん目を背けることができる——。今思えばずいぶん安易な動機だったけれど、私はそうして浪人することを決めた。
正直に言うと、私は人の言動にすぐ影響されるタチだ。友達のひと言に、たいした根拠もなく感化されたのだと思う。医者になれればかっこいいし、収入もきっと高いのだろう。その程度の、漠然とした憧れだった。
いざ浪人生活が始まってからも、「医師になりたい」と本気で思っていたわけではなかった。ただ、一度「医学部に行く」と決めてしまった気持ちを変えることが、自分の人生を妥協することのように感じられて、どうしてもできなかった。引き返せばラクになれるとわかっていても、引き返せない。気づけば私は、医学部という選択に固執するようになっていた。
そのくせ、振り返れば、私はおそらく、医学部に受かった他の人たちほど勉強していなかったと思う。結局、一浪では収まらず多浪した。人より長く机に向かうぶん、偏差値は少しずつ上がっていった。けれど、その数字がそのまま自信になることはなかった。何年やっても、確実に合格できるレベルに達したという手応えは、最後まで持てなかったように思う。受かった年の試験も、たまたま得意な分野が出ただけで、運の要素が大きかったと思っている。
今になって考えると、受からなかった可能性も十分にあった。もしあの年も落ちていたら、今の自分はいない。そう思うと、正直ぞっとする。あのまま何年も同じ場所で足踏みを続けていたかもしれないと想像すると、なおさらだ。「あの程度の勉強量で、よく医学部に受かると思ったな」と、当時の自分を叱りたくなる。
それでも——いや、だからこそ、今こうして医師として働けていることを、当たり前だとは思えない。安易な動機で始まり、運にも助けられてたどり着いた道だ。胸を張れるようなスタートではなかった。でも、立派な始まりではなかったぶん、今ここに自分がいることの不思議さと、ありがたさを、忘れずにいたい。そんなことを、ふと考える日がある。


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