娘が17歳になった

日常

子どもが17歳になった。
見た目はもうほとんど大人と変わらない。
小さな頃は、買い物に行けば手をつないで歩いていたし、休日には一緒に出かけるのが当たり前だった。父親である私にとって、娘はいつも身近な存在だった。
けれど、気づけばそんな時間は、ずいぶん前に終わっていた。
今では会話らしい会話も、もうそれほど多くない。一緒に出かけることもほとんどない。親に頼ることも少なくなった。
目の前にいるのは「自分の娘」であるはずなのに、同時に一人の若い女性でもある。
意味のない会話や冗談を気軽に交わせるわけでもない。強く注意したり、本音で何かを話し合ったりすることもほとんどない。
その不思議な感覚に、ときどき戸惑う。
もちろん愛情がなくなったわけではない。
健康でいてほしいし、将来は幸せになってほしいと願っている。
けれど、何に興味を持っているのか、どんな友達と過ごしているのか、将来をどう考えているのか――そういったことを、自分から進んで聞こうとはあまり思わない。
聞けば答えてくれるのかもしれない。
それでも、どこか遠慮してしまう。
こんなことを聞いたら嫌がられないだろうか。父親が踏み込みすぎるのは、うっとうしいと思われないだろうか。
そんなことを考えながら言葉を選んでいると、自分の娘なのに、まるで他人と接しているような気持ちになる。職場の同僚や知人に、必要以上に踏み込まないのと似ているのかもしれない。
もともと私は、人と打ち解けるのが得意なほうではない。
だから娘が成長するにつれて、娘が親から離れていくのと同じように、私のほうも少しずつ距離を取っているのだろう。
妻はどう感じているのだろう。
母親と娘の関係は、父親から見えるものとはまた違うはずだ。
けれど、なんとなく気恥ずかしくて、こんな話をしたことはない。
よその親御さんはどうなのだろう。
もっと頻繁に話をするのだろうか。もっと子どものことを知ろうとするのだろうか。
それとも案外、同じような気持ちを抱えているのだろうか。
そして最近、ふと考える。
私が17歳だった頃、両親も同じようなことを感じていたのだろうか、と。
子どもが少しずつ親から離れ、自分の知らない世界を持ち、自分とは別の人生を歩き始めること。
それを嬉しく思いながらも、少し寂しく感じること。
もしそうだったのなら、今になってようやく、親の気持ちが分かる気がする。
親子であっても、結局は別々の人間だ。
だから離れていくのは、自然なこと。
元気に育ち、自分の人生を歩き始めているのだから、それ以上望むことはないのかもしれない。
それでも、どうしても小さかった頃の娘を思い出してしまう。

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